賃貸住宅トラブルの解決に向けて
平成23年11月22日(火)
賃貸住宅トラブルの解決に向けて
司法書士 永田廣次
前提
甲(個人)は、乙(個人)から乙所有のAマンションを居住目的で賃借した。
「賃貸住宅トラブルの発生原因はどこにあるのでしょうか?」
昔から、衣食住といわれ、住は生活の基本の柱となる。
民間賃貸住宅は、住宅ストックの約3割を占めており、国民の住生活の安定の確保及び向上促進のために極めて重要である。
これまでの住宅政策が、持ち家政策が重視され、賃貸借の環境については2の次とされてきた。そして、住宅金融公庫が廃止され民間市場が拡大し、公営住宅の縮小も見られた。
民間賃貸住宅を巡っては、従来から様々な問題が発生している。相談内容は、敷金の返還、原状回復、管理業務を巡るものが多い。
法律上は、賃貸住宅トラブルの原因は、特約の効力が最も重要なポイントである。
加えて、近時、家賃債務保証業務に関連して、滞納・明け渡しを巡るトラブルも増加している。
①契約書は賃貸人側で有利に作成する。しかも内容が抽象的であるものが多い。また、特約条項が一般条項に入れられており認識しにくい。
②賃借人は、契約内容をよく理解しないで署名捺印する。
③少額が争いとなる。
④賃借人の泣き寝入り体質がある。
⑤法的解決に時間と費用がかかる。
⑥賃貸人の素人経営と高齢者化と業者任せ。
⑦不況による損失の転嫁。
⑧入退時の立会い書面や原状確認。
第1 賃貸借契約の締結
1 「甲の長男が東京の大学に合格しました。甲は、長男のために乙のAマンションを借りるに当たって、保証人をつけるか又は家賃保証会社と契約するよう言われました。何か問題はないでしょうか?」
アパート、マンションなどの賃貸借契約を結ぶ際、一般に、入居者の債務を担保するため、連帯保証人を立てるよう求められる。しかしながら、家族関係の希薄化、自立志向の高まり等により保証人を頼みにくい、あるいは頼みたくないという入居希望者がいる。
このため、従来からの市場慣行である連帯保証人制度に替わるものとして、入居者の家賃債務を一時的に肩代わりすることなどを「家賃債務保証サービス」として提供する家賃債務保証会社の活用が図られるようになってきている。
入居者が一定の保証料を家賃債務保証会社に支払うことにより、入居者が万一家賃を滞納した場合、家賃債務保証会社が入居者に代わって一時的に家賃を立て替えて家主に支払う。なお、入居者は、後日家賃債務保証会社から立て替えた金額を求償される。
しかし、現在、家賃保証債務保証業務を規制する法律等は存在していない。
又、賃貸住宅の管理会社の管理業務についても、これを規制する法律等も存在していない。
そして、家賃保証債務保証会社に限らず、賃貸住宅の管理会社や賃貸人が違法又は不適切な行為を行っている事例も発生している。
具体的には、未明までの支払いの督促を受けた事案や、賃貸住宅の部屋のカギを賃借人に無断で取り替え部屋に入ることができなくなった事案、部屋の中の荷物を勝手に搬出するといった事案が発生している。
さらには、家賃債務保証会社に関しては、経営が破綻し、賃借人や賃貸人に不測の損害をもたらす事例もある。
2 「甲は乙のAマンションを借りるに当たって、保険に入るよう仲介業者から言われました。保険に加入しなければならないでしょうか?」
賃借紛争の円満な解決に対応できるよう保険でカバーする仕組みも重要である。
しかし、仲介業者が損害保険の代理店をしている場合も多く、さらに賃貸借契約に保険加入義務があると説明されるケースもある。
賃借人は何の目的で保険に入るかを検討する必要がある。無駄な保険に加入する必要はない。
保険は、事故、賃借人の損害賠償責任に対応するためである。最も多い事故は、賃借人の水漏れ事故である。しかし、賃貸人は、賃借人の事故により物件の一部が滅失毀損した場合の補償のために保険をかけることを希望する。
保険の内容を見てみると
①火災保険
火災保険には賃借人に加入する義務はない。火災保険は、通常、建物全部について、自己所有者である賃貸人が加入しており、仮に、同一物件で重複している火災保険は、火事になっても重複して保険金が下りない。無駄である。
②借家人賠償保険
修繕費や賃借人の過失で出火させてしまった場合の家主への賠償金になる。保険金額は1000万円もあれば充分である。
③個人賠償責任保険
賃借人の過失で水漏れや物を落下させて近隣の賠償が必要になった場合の保険である。
④家財保険
火災や盗難で賃借人の家財や貴金属に被害があった場合の保険である。
実際には、②借家人賠償保険に加入すれば事足りるが、保険会社によって商品は種々あり、他の保険とセットになっている場合が多い。
なお、修理費用担保特約(契約に基づいて負担する小修理費用を保険)も組み合わせるとよい。
契約書中で義務づけをしている場合は、保険の加入義務が発生する。
しかし、仲介業者に強制される保険に加入しなくてよい。もし、強制されると、抱き合わせ販売の義務付けによる拘束となり独禁法に抵触する(19条 一般指定10項)。
第2 賃貸借の効力
[修繕義務・必要費]
3 「Aマンションが雨漏りします。また、ベランダの手すりが壊れています。壁のクロスも傷みました。しかし、契約書には、『通常の修理費は賃借人が負担する』と記載されています。甲は家主である乙にこれらの修繕を請求できるでしょうか?」
原則
賃貸人には、使用収益させる義務、修繕義務(民606条)がある。
①原状維持・回復(雨漏り 屋根修理)
②通常の使用収益できる状態で保存する行為(排水管)
が、賃貸人の義務である。
例外
但し、通常の修理費(小修繕)は賃借人が負担する特約は有効である(民法608条は任意規定)。
特約により、畳の表替え、障子ふすまの張り替え、電球・蛍光灯の取り換え等は、賃貸人の責任が免除される。
特約の制限
何処までが特約の範疇(小修繕)か?
ベランダの修理や壁のクロス、床のカーペットは相当の費用がかかり小修繕でない。
さらに、建物の基本的な構造に影響する修繕は大修繕で、特約があっても家主が負担するべきものである(判例)。
しかし、さらに「賃貸人は、何処までも修繕する義務があるか?」
修繕が可能でなければならない。
修繕が可能かどうかは、物理的技術的ばかりではなく、経済的な観点からも判断するべきで、修繕に新築と変わらないような費用を要するときは経済的に修繕不能となる。
その結果、使用できない部分が一部であれば、賃借人は賃料減額請求権がある。
又、建物を賃借した目的が達成できないならば、契約の解除ができる(611条類推)。
「仮に、賃借人甲が、ベランダを修理したら、法律関係はどうなるか?」
甲は直ちに必要費の償還を請求できる(608条)。翌月の家賃と相殺できる。必要費の償還請求権は10年の消滅時効にかかる。
又、契約が終了してから1年を経過すると請求できなくなる(621条・600条)。
[有益費償還請求権]
4 「甲は、クロスの張り替えを行いました。契約書には、有益費は借家人の負担とするとの特約があります。甲は乙に、クロスの張り替え費用を請求できますか?」
まずクロス張り替えが有益費に該当するかが問題である。
有益行為というためには、目的物を通常利用する上で価値が客観的に増加したと評価されることが必要である。又、建物に符合することも要件である。
賃借人の趣味でクロスを張り替えることはあたらない。
造作も有益行為も経済的には賃借人の投下資本の回収という点で共通問題があるが、有益費償還請求権放棄の特約は有効であるとするのが判例の立場である。
[造作買取請求権]
5 「甲は、今から4年前に乙からAマンションを賃借し、乙の許可を得て当時3万円をかけて吊り戸棚を設置しました。今回契約を終了するに当たり、この吊り戸棚の買い取りを請求できますか?」
借地借家法33条(旧借家法5条)は、借家契約終了時に、借家人が家主の同意を得て建物に付加した造作を、時価で買い取ることを請求できると規定する。
造作とされるには、賃借人の所有に属し、建物から取り外したら役にたたなくなるもので、客観的に役立つものをいう。
例) 畳、建具、雨戸、吊戸棚、クーラー、システムキッチン
しかし、平成4年8月施行の借地借家法3条、37条は、特約により造作買取請求権を放棄することができるようにした。
施行前の特約は効力がないが、施行後に改めて特約を結べば有効である。
[賃料減額請求権]
6 「甲は、今から10年前に乙からAマンションを月5万円で借りました。その間、家賃は、値上げもありませんでしたが、近時甲の生活も苦しいので、家賃の値下げをお願いしようと思います。値下げ請求はできるのでしょうか?」
一定の事情変更があれば、賃借人は、家賃の減額請求権が認められる(借地借家法32条)。
①土地若しくは建物に対する租税その他の負担の増減
②土地若しくは建物の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動
③近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となった
②の文言は新法によって新たに加えられた。
その他の経済事情の変動とは、物価や国民所得や労働者の平均賃金の変動をいう。
不減額特約(一定期間賃料を減額しない特約)は無効である。
「家賃の減額手続きはどのようなものですか?」
減額請求(3万円)を相手方に伝えたときから減額の効力が生ずる。
家主と話し合いがまとまらなければ、新法により調停前置主義となった。
協議が整わなければ、家主は、相当と認める額(4万円)の賃料を請求できる。
減額を正当とする調停や裁判が確定した時において、借家人がすでに支払った額(4万円)が正当とされた額(3万5千円)を超えるときは、建物賃貸人は、その超過額(5千円)に年1割による受領時から利息を付して返還しなければならない。
第3 敷金返還義務および原状回復義務
[クロスの交換特約・畳の表替え特約・ハウスクリーニング特約等と賃借人の費用負担]
7 「甲は、2年前にAマンションを家賃5万円、敷金3ケ月分で入居しました。
今回引っ越すことになったので、契約書を改めてみると、クロスの交換特約・畳の表替え特約・ハウスクリーニング特約がありました。このような特約は有効で、敷金から控除されてもしかたないでしょうか?」
賃借人は原状回復義務を負う。しかし、原状回復義務とは、賃借物を返還する際には、賃借人が設置したものを取り除いて返還するということであり、新品にして返す必要はない。契約時の原状に復旧することでもない。
但し、賃借人の善管注意義務違反または許される通常の使用を超える使用によって毀損・汚損が発生した場合は、その修繕費用は、賃借人の負担と考えられる。
敷金からは、賃借人の一切の債務が控除される。しかし、特約があった場合でも文言どおり敷金から控除されるとは限らない。
通常の使用によって必然的に伴う損耗、汚損等、時間の経過によって生じる自然的な劣化、損傷については、特約があっても原則敷金から控除できない。
①自然損耗はこの意味での損傷に当たらないので、返還時の状態で返還すればよい。クロスの「自然色落ち」や冷蔵庫設置場所の「電気ヤケ跡」は賃借人として許される通常の使用によって生じる損耗なので、特約があっても控除できない。
通常損傷分の原状回復費用は、減価償却費として一般的に賃料に含まれている。
②畳の表替特約は、小修繕を賃借人負担で行う特約である。
しかし、通常の使用方法による自然損傷は、賃貸人の負担であり、特約に合理的理由があり特約内容を充分に認識している場合に例外として許される。
それゆえ、入居後短期間で退去する場合や、賃借人が自分で畳入れ替えを行って間もない時期に退去した場合も、敷金から控除できない。
③ハウスクリーニングは、室内を清掃消毒し、入居前の状態に近い状態に回復する作業をいう。トイレの黄バミや風呂場台所の消毒清掃等特殊な洗浄剤や技術を要し一般的には困難である。
これは、次の賃借人を確保するためという側面が強く、賃貸人側の事情により行うもので、賃貸人が負担するべきである。
④カーペットを煙草で焦がしたとか子供のマジック悪戯等は、賃借人の原状回復義務があり違反すれば損害賠償の対象となる。
しかしその範囲は、広範囲に行う必要はない。カーペットの場合は当該居室、クロスの場合は当該壁面一面の張り替え工事が補修範囲である。
[敷金の当然控除特約(敷引特約)]
8 「このたびAマンションを出ることにしました。敷金をいくら返していただけるか大家の乙に聞いてみると、敷引き特約により2割は当然控除し返すと言われました。しかたないでしょうか?」
敷引特約とは、賃貸借建物の明渡しの際、当然に敷金の何割(何月分)かを控除しその残余を返還する旨の特約をいう。償却特約とも没収特約ともいう。しかし、各地域における慣行に著しい差異がある。
敷引き特約は2つの意味がある。
①通常の損傷に関する原状回復費用は、本来貸主が負担するべきだが、これを借主の負担とするという趣旨
②原状回復費用は、契約終了時に具体的に計算されるべきであるが敷き引き特約で低額化を図るという趣旨
平成23年3月24日最高裁判決
平成23年7月12日最高裁判決
「賃貸人が契約の条件の一つとしていわゆる敷引特約を定め、賃借人がこれを明確に認識した上で賃貸借契約の締結に至ったのであれば、それは賃貸人、賃借人双方の経済的合理性を有する行為と評価すべきものであるから、消費者契約である居住用建物の賃貸借建物の賃貸借契約に付された敷引特約は、敷引金の額が賃料の額等に照らし高額すぎるなどの事情があれば格別、そうでない限り、これが信義則に反して消費者である賃借人の利益を一方的に害するものということはできない。」
第4 更新料
[法定更新と更新料]
9 「甲は、Aマンションを期間2年の約束で借りました。特に更新の合意をしないでいたところ、先日乙から更新料を支払うよう請求が来ました。支払わなければならないでしょうか?」
平成23年7月15日最高裁判決
「更新料が、一般に賃料の補充ないし前払、賃貸借契約を継続するための対価等の趣旨を含む複合的な性質を有する。
賃貸借契約書に一義的かつ具体的に記載された更新料条項は、更新料の額が賃料の額、賃貸借契約が更新される期間等に照らし高額すぎるなどの特段の事情がない限り、」無効とすることはできない。
特約は有効である。しかし、各地域における慣行に著しい差異がある。
更新料を支払わない場合でも、信頼関係の破壊にならなければ解除されない。
第5 特殊な理由による解約
10 「次にような特約による解除は有効でしょうか?
①「入居者、同居人及び関係者で精神障害者、又はそれに類似する行為が発生し、他の入居者または関係者に対して財産的、精神的迷惑をかけた時」
②「外国人で隣人とのコミュニケーションがとれる程度の日常会話ができない場合」
③「賃借人は、爬虫類、犬、猫等の動物を飼育した場合」
人権無視とか公序良俗に反する契約条項は無効である。
③のペット飼育禁止特約は、共同生活の安全衛生、秩序維持などの理由から、一般に有効である。
しかし、特約に違反しても直ちに契約が解除とはならない。違反により、近隣居住者・家主等に迷惑をかけてばかりいるなど、家主との信頼関係が破壊されたといえなければ解除できない。
特約なくとも、借主には、糞尿の後始末をおこなうなど近隣の人の平穏を侵害しないよう飼育する義務がある。このルールを守らず程度が信頼関係を破壊するほどであれば、特約なくとも契約解除できる。
第6 保証人の法律関係
11 「甲は、乙とAマンションにつき、5年ほど前に契約期間2年の賃貸借契約を締結しました。その際、丙が甲の保証人となりました。
先日、乙から丙に対し、『甲が賃料を6ケ月分滞納したので契約を解除した。そこで、滞納家賃及び明渡しまでの損害金を支払っていただきたい。さらに建物も明け渡してほしい。』と言われました。
丙は応じなければならないでしょうか?」
民法447条1項により、賃貸借契約における賃借人の保証人も滞納家賃及び明渡しまでの損害金も支払い義務を負う。
賃貸借契約が更新された場合の保証人の責任は問題がある。民法619条2項本文は、更新前の賃貸借について当事者が供与していた担保は期間の満了によって消滅すると規定する。
しかし、平成9年11月13日付最高裁判決は、借地借家法が適用される場合は、正当事由がない限り賃貸人は更新を拒絶できないため、賃借人が望む限り、更新により賃貸借関係が継続するのが通常であるから、更新後の賃貸借から生ずる債務についても保証の責めを負う趣旨で保証契約をしたと解した。
建物明け渡し債務は、一身専属的債務であり、保証人が代わって行うことはできず、保証人は建物明け渡し義務まで負わない。
12 「丙は、今後保証人を止めたいのですが、保証契約を解除できるでしょうか?」
原則として、保証人が一方的に解除することはできない。
しかし、期間が相当経過し、賃借人がしばしば賃料の支払いを怠り、賃貸人も賃貸借の解除や明け渡しを求めない場合は解除できる場合もある。
その際、甲と丙との間柄、情義的関係や利益関係も斟酌される。
第7 賃借人が破産した場合の対処法
13 「甲は生活苦のため破産することになりました。甲はこれまでどおりAマンションに住むことができるでしょうか?」
管財事件の場合、賃借人地位は、破産管財人の管理下に置かれます。破産法上は破産管財人の判断によって賃貸借契約を解除することができます(破産法53条)。しかし、賃借人は、建物の引き渡しを受け居住している。これは、賃借権を第三者に対抗できる場合にあたる。個人破産の場合、破産後も破産者の生活があるので、解除されると生活が立ち行かなくなることが明白である。破産管財人は、解除できない(破産法56条)。賃借人は、賃貸人に直接賃料を支払い居住できる。
同時廃止事件では、破産開始決定後も、引き続き賃借人の地位に基づき居住できる。
なお、従前民法621条は、賃借人が破産した場合、管財人のみならず賃貸人にも解約申し入れ権を認めていましたが改正により削除されました。
14 「賃貸借契約書に、『「賃借人が破産した時は、賃貸人は本契約を解除できる。』との特約があった場合は、解除が有効でしょうか?」
かかる特約条項があったとしても賃貸人と賃借人との間の信頼関係を破壊するような特段の事由がない限り、解約することはできない。
賃貸人が破産した賃借人に漠然とした不安を抱いたとしても、それのみで解約を認めては、借地借家法が賃借人保護しようとした趣旨に反するばかりか、自己破産により立ち直ろうとした賃借人の経済的更生を妨げることになってしまう。
第8 賃貸住宅トラブル解決の課題
15 「賃貸住宅トラブルの未然防止や紛争の円満な解決には、どのような課題があるのでしょうか?」
国土交通省の賃貸住宅標準契約書の見直し
高齢者入居者に対する成年後見制度等の利用
原状回復やガイドラインのルールの整備
原状回復等に関する保険や保証人の検討
家賃債務保証業務等の適正化
裁判外紛争解決制度(ADR)の活用の促進
転居先の確保と支援